墨田住人の備忘録

色々な情報に接して得心することは多いけれども、40を過ぎてからすぐに忘れてしまうので備忘録として書こうと思う。

女工哀史

 

 墨田区の文花に住んで10年。ここは生まれ育った場所ではないし、労働問題などにも関心がある訳ではない。

 というのは言い訳になるけれども、恥ずかしながら最近までこの辺りが「女工哀史」の主要な舞台であったことを全く知らなかった。「女工哀史」という本を読んだことはなく、大学入試で選択した日本史の中で微かに知識があったに過ぎないので、作者(細井和喜蔵)の名前も忘れていた。

 ちなみに「もう一度読む 山川日本史」という本が自宅の本棚にあったので、気になって確認をしてみたところ、女工哀史については一言も掲載されていなかった。高校の教科書は山川出版だったので、授業で習った訳ではなくて参考書で覚えたのだろうか、それとも以前は記載されていたものが最近の教科書には出ていないのか・・・。

 

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 墨田区に移住してからは、僅かながらもこの周辺の歴史などにも触れる機会はあった。区役所や地域の人達も様々な媒体で歴史を伝えようとしていると思う。例えばポジティブな面で言えば、葛飾北斎勝海舟、あるいは芥川龍之介などの著名人のゆかりのある地であること、両国の相撲や回向院などの歴史なども積極的にPRする類であろう。また、悲劇として関東大震災東京大空襲などで最も被害が甚大であったことなどは私でもそれなりの知識はある。

 墨田区について知っていることは概ね以上のようなものだった。転居してからも地域の歴史に興味がなかった私は、江戸時代に湿地だったところが整備されて明治以降に中小の工場の集積地となり、空襲で焼け野原になってから現在の下町が形成されたものかと思っていた。

 しかし、少し前に何かのきっかけでこの辺りに「東京モスリン」という工場があった事を知った。それから墨田区の明治~大正~昭和初期の古い地図を見てみた。

 

  「女工哀史」に関しては、正直なところ全く墨田区と関連付けて考えたことはなかった。私の浅い知識の中では同系列にある「あゝ野麦峠」のように、都会である東京からは遠く離れた農村の方にある工場のドキュメンタリーだと思っていたのである。

 だから、自宅から近くてよく歩いている辺りが「女工哀史」に出てくる場所だということには、どうもしっくりこないというか全く現実感がなかった。そんなこともあって、「女工哀史」を読んでみていま一度この地の歴史を考えてみた。