東京モスリン・・・1
モスリンとは何ぞや。
家からそれほど遠くない団地は、その昔「東京モスリン」という会社の工場だったそうだ。そこで調べてみると、モスリンというのは毛織物の1つらしい。今ではほとんど流通していないが、戦前に日本が紡績大国だった頃には大量に生産して輸出などをしていたとのことだ。モスリン工場、あるいはキャラコ工場(同じもの?)は日本全国に存在し、東京にもかなりの数があったようだ。
墨田区で紡績と言えばカネボウが有名で、花王の傘下になった今も鐘ヶ淵のそばを通ると会社のロゴを見ることができる。今でこそ中小企業の集積地のイメージは強いが、昔は基幹産業だった紡績関係などの大工場が数多く存在していた。今でも近くの花王の工場はそこそこ大きいけれども、それ以上の規模だったのかもしれない。
ところで東京モスリンであるが、これを調べている時にどうやら東京モスリン亀戸工場というのは、その昔歴史で習った「女工哀史」の舞台だったということを知った。
東京モスリン亀戸工場というのは、今で言う墨田区の立花団地の辺りである。最初は少し混乱してしまったが、東京モスリンにはもう一つ吾嬬工場というのがあって、それは今の文花団地やオリンピックの辺りらしい。亀戸は江東区であるし、今は学校名などから立花団地の辺りの方が「吾嬬」という名称がしっくりくるので吾嬬工場だと勘違いしそうだ。文花団地の辺りをわざわざ吾嬬工場としたのは、こちらが後から出来たからだろうか。
女工哀史の著者である細井和喜蔵が勤めていたのは亀戸工場の方である。規模としても大きかったようだが、当然ながら自分の勤めていた亀戸工場のエピソードが最も多い。周辺の様子などの記述もあり、全く変わってしまった現在との繋がりなどもあって興味深い。ただ興味深いのは確かであるけれども、延々と書かれている中身を読んでいるうちに沈鬱な気分になる。細井は労働運動に関わっていたので幾分誇張があるのかもしれないが、それにしても酷いものだとしか言いようがない。昨今耳にする労働問題とは別次元の話だと思う。