墨田住人の備忘録

色々な情報に接して得心することは多いけれども、40を過ぎてからすぐに忘れてしまうので備忘録として書こうと思う。

沈みゆく大国アメリカ

 

 この本は「貧困大国アメリカ」の著者による、いわゆる「オバマケア」などアメリカの医療改革に関するルポである。書かれていることがアメリカ医療の現実そのものだとは思わないが、どのくらい現実に即しているのだろうか。話半分くらいだとしても、アメリカの庶民にとって医療の問題は相当に難しいのだと思う。特に私のような病気持ちだと、ここに書かれていることを読んで「皆保険制度のある日本で本当に良かったな」と胸をなでおろしてしまう。

 

 日本の皆保険制度の優位性は今でこそ当たり前かもしれないけれども、振り返ってみれば少々揺らいでいた時期もあった。

 15年前くらいに私は官公庁関連の仕事をしていたが、その頃は停滞する日本を尻目にアメリカが活力に溢れていた頃で、様々な分野で「グローバルスタンダード」という名のアメリカ方式への転換が叫ばれていた。金融、IT分野などは言うまでもないが、日本でも増え続ける医療費削減の解決策としてアメリカで採用されているマネージドケアや混合診療、あるいは医療への企業参入などが検討されていた。当時の雰囲気としては、既存の皆保険制度をそのまま堅持しようという人に対しては、現実が見えない頭の固い人、あるいは既得権益を守る抵抗勢力というレッテルを貼る論調すらあった。混合診療や薬のネット販売などは今でも燻っている問題であるけれど、言葉巧みな人が放つ「患者のための医療」だとか「制度改革」なんていうキャッチフレーズの裏にはやはり何かあるのではと勘ぐってしまう。

 結局、ひと昔前にグローバルスタンダードなんて言われていたものの多くはアメリカの制度の模倣であり、本家のアメリカでうまく回っているように見えていたものでも今や悲惨な結果を招いているものが少なくない。医療分野などはその最たるもので、当時からグローバル企業として名を馳せていた大企業はますます富む一方で、中産階級の普通の人たちが充分な恩恵に与かれずにむしろ苦境に陥っている。

 

 医療や教育といったものは本来ビジネスとは馴染まない分野である。それを直感的に理解して制度設計してきた昔の日本人は賢明だったのだろうが、アメリカとの経済格差などを根拠にビジネスに絡めてメリハリをつけることが正しいことのように言われることが少なくない。

 いわゆるオバマケアというのは無保険者を救済する悪くない制度だ、という程度の認識しかなかったけれども、現実には誰が得をする誰のための制度かということはここで書かれている通りなのかもしれない。著者は反米に偏っているという人もいるらしいが、確かにこの本を読むとアメリカはこの先衰退していくのではないかという気持ちになる。安保法制やTPPの是非はともかく、アメリカと運命をともにするとが心配になる。中国や日本、あるいは欧州であっても今や盤石な国家制度なんて存在しないけれど、ちょっとアメリカは経済優先で極端なことになっているように思える。

 

 最後に補足すると、この本に書かれているアメリカの医療制度の下であると、私は既に破産をして治療を受けられないまま命を落としていた可能性が高い。薬価を国が決められない上に公的保険が不十分であったとしたら、難しい病気に罹った時点でほとんどアウトである。企業がかけている保険が無くなれば治療は続けらないから、保険を維持するためにも治療を後回しにして無理して働くか、働くのをやめる代わりに治療もやめるという選択しかないだろう。そういえば以前ゼネラルモーターズが破綻したときに、会社が負担している従業員の保険が重荷になっていると聞いた覚えがあるが、再建した今は正社員が減っているとのことである。正規から非正規になった人は当然ながら充実した医療保険には加入できず、「一応」無保険ではないという状態にあるだけなのかもしれない。日本も全体的には正社員が減って非正規が増えているが、非正規であっても健保と同レベルの国保には加入できるだけマシなのだろう。皆保険制度が崩れてしまったら、今と同じように高額な治療を限度額の支払いだけで続けることはできなくなる。この本では、高額な治療薬は保険の適用外であるが安楽死の薬は保険が適用される、という話が紹介されているが、日本でもそんなことにならないことを願うばかりである。

 

沈みゆく大国アメリカ (集英社新書)

沈みゆく大国アメリカ (集英社新書)