墨田住人の備忘録

色々な情報に接して得心することは多いけれども、40を過ぎてからすぐに忘れてしまうので備忘録として書こうと思う。

旧中川の情景

 寒かったり体調が悪かったりでしばらく旧中川の辺りを歩くことがなかったが、今日は久方ぶりに散策してみた。

 

 川にいる鳥は圧倒的にオオバンが多く、わが物顔で川を占領していた。中州になっているところに、こそこそと鴨がいるのが少し可哀想だった。春の陽気だったので、ムクドリなども堤防の辺りで餌探しをしていた。そう、それと早くも川の中にはボラが泳いでいた。これからしばらくすると、ボラが大量発生するのは毎年のことだ。

 

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 これまであまり意識していなかったけれども、旧中川の堤防にはいくつかの種類の桜が植えられている。どれもまだそれほど大木ではないが、開花する時期が少しづつずれているので、これから結構な期間、桜の花を楽しむことができる。ソメイヨシノだけでなく、複数の種を一定の距離で植えるとは、なかなか粋なのではないかと感心する。

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 今はすでに河津桜がゆりのき橋を挟んで満開。桜の季節を少し早めに迎えられるというのは、今の自分にとっては幸せなことである。ヒヨドリも春が来ればうれしいだろう。

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オオタカ 行徳の野鳥観察舎

 ニュースで知ったのだけれども、千葉県の行徳にある野鳥観察舎が、建物の耐震性が低いため今月28日から休館になり、そのまま廃止されるかもしれないとのこと。

 千葉県が所有する施設なので東京都民としては発言権はないのかもしれないけれど、何とか存続して欲しいものだ。この数年、小学生の子供や妻と家族で野鳥を見にいくことがあるけれども、東京都の東部にある我が家からは大田区の野鳥公園よりも行徳の方がアクセスが良い。ここはゆっくり見られるし、ケージに保護されている鳥も見れるので、子供も結構お気に入りの場所だ。

 先月28日に行った時には、オオタカヘラサギを見ることができた。特にオオタカは是非見たいと思っていたけれども当日なかなか現れてくれず、帰り際になってようやく姿を見せてくれた。若鳥だったので、カラスに意地悪をされて追い立てられていたが、またこれからも見に来たいと思っていた。

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 1979年から続いていたこういう折角の場所を、今の時代に廃止にするという選択肢はどうなのだろうか。耐震性の問題で休むのは仕方がないにしても、子供やシニアなどにとって大切な場所なのだから、建替えをするとか何とかないのかと思う。森田健作知事に男気を発揮して欲しいなあ。

 

雪松図屏風

 日本橋三井記念美術館で展示されている雪松図屏風。円山応挙の作品で国宝に指定さてれている唯一の作品であり、最も有名な作品だろう。

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 絵心も芸術的なセンスにも欠けている私が、今現在もっとも好きな美術品かもしれない。

 作成当初の輝きからは少し褪せているのかもしれないが、現代でも充分にその荘厳なる美しさを感じることができる。間近で見るよりも、少し離れたところから見ると写実的な深みを味わえるというのは、屏風絵というシチュエーションを応挙が計算したからなのだどろうか。

三井美術館では毎年年末年始に公開されている。病を患っている身としては、あと何回見れるかわからないが、一年に一度見に行きたい。

旧中川 灯篭流し

 終戦の日の8月15日、旧中川で東京大空襲犠牲者慰霊の灯篭流しがあったので、家族で会場に行った。

 毎年開催されているのは知っていたが、いつもお盆で帰省しているので都内に不在のことが多く今年が初めてとなる。戦後70年という節目ということもあるのかもしれないが、予想以上に多くの人が集まっていた。

 灯篭は当日600円で購入することができて、会場でメッセージを書いて川に流すことができる。有名な隅田川の灯篭流しなどは、事前に予約無しだと灯篭を自分で流すことはできなかったので、こちらに来て良かったと感じた。NHKのニュースや新聞などでも旧中川の方も報道されていたので、思ったよりも大きな行事のようである。

 

 亀戸中央公園の裏から国道14号の方に入った辺りがメイン会場で、そこからスカイツリーの方に向って江東区側と江戸川区側でそれぞれ灯篭を流す。灯篭はかなりの数になるので、水面でゆらめいている姿は幻想的である。

 それにしても、東京大空襲で亡くなった人の数が多いのは知っているけれども、この旧中川で3000人もの人が飛び込んで亡くなっているというのは本当に凄まじい。まさに地獄の光景だったのだろう。

 70年もの年月ですっかり整備されて様変わりしているのだろうが、こうして思いを馳せる日があるというのは大事なことだろう。

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旧中川の夏鳥

 久しぶりに旧中川に鳥を見に行った。

 季節が春から夏に変わり、夏草が高く伸びて川辺の風景を一変させている。

 大雨の後でいつもより水かさが増している水辺には、ほとんど鳥の影が見えない。川沿いの遊歩道を歩いていると、スズメやムクドリに混じって時々ツバメが目の前を横切る。肉眼でしっかりと捉えることができるということは、この春に生まれたばかりのツバメなのかもしれない。

 しばらく歩いていると、鮮やかな緑に彩られた夏草をバックにして真っ白な鳥の姿が目に入る。恐らくダイサギだろう。長い首を動かしながら、水際を少し飛んでは停まったりを繰り返している。春にはこの辺りはバンやカモが沢山いたが、季節が変わって集まっている鳥も様変わりしていた。

 旧中川から分かれてスカイツリーの方へ流れていく北十間川の小さな橋のところに、三脚を立ててカメラを構えている人が何人かいた。この春に旧中川から巣立っていったカワセミが、この辺りに戻ってきているのだろうか。

 

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沈みゆく大国アメリカ

 

 この本は「貧困大国アメリカ」の著者による、いわゆる「オバマケア」などアメリカの医療改革に関するルポである。書かれていることがアメリカ医療の現実そのものだとは思わないが、どのくらい現実に即しているのだろうか。話半分くらいだとしても、アメリカの庶民にとって医療の問題は相当に難しいのだと思う。特に私のような病気持ちだと、ここに書かれていることを読んで「皆保険制度のある日本で本当に良かったな」と胸をなでおろしてしまう。

 

 日本の皆保険制度の優位性は今でこそ当たり前かもしれないけれども、振り返ってみれば少々揺らいでいた時期もあった。

 15年前くらいに私は官公庁関連の仕事をしていたが、その頃は停滞する日本を尻目にアメリカが活力に溢れていた頃で、様々な分野で「グローバルスタンダード」という名のアメリカ方式への転換が叫ばれていた。金融、IT分野などは言うまでもないが、日本でも増え続ける医療費削減の解決策としてアメリカで採用されているマネージドケアや混合診療、あるいは医療への企業参入などが検討されていた。当時の雰囲気としては、既存の皆保険制度をそのまま堅持しようという人に対しては、現実が見えない頭の固い人、あるいは既得権益を守る抵抗勢力というレッテルを貼る論調すらあった。混合診療や薬のネット販売などは今でも燻っている問題であるけれど、言葉巧みな人が放つ「患者のための医療」だとか「制度改革」なんていうキャッチフレーズの裏にはやはり何かあるのではと勘ぐってしまう。

 結局、ひと昔前にグローバルスタンダードなんて言われていたものの多くはアメリカの制度の模倣であり、本家のアメリカでうまく回っているように見えていたものでも今や悲惨な結果を招いているものが少なくない。医療分野などはその最たるもので、当時からグローバル企業として名を馳せていた大企業はますます富む一方で、中産階級の普通の人たちが充分な恩恵に与かれずにむしろ苦境に陥っている。

 

 医療や教育といったものは本来ビジネスとは馴染まない分野である。それを直感的に理解して制度設計してきた昔の日本人は賢明だったのだろうが、アメリカとの経済格差などを根拠にビジネスに絡めてメリハリをつけることが正しいことのように言われることが少なくない。

 いわゆるオバマケアというのは無保険者を救済する悪くない制度だ、という程度の認識しかなかったけれども、現実には誰が得をする誰のための制度かということはここで書かれている通りなのかもしれない。著者は反米に偏っているという人もいるらしいが、確かにこの本を読むとアメリカはこの先衰退していくのではないかという気持ちになる。安保法制やTPPの是非はともかく、アメリカと運命をともにするとが心配になる。中国や日本、あるいは欧州であっても今や盤石な国家制度なんて存在しないけれど、ちょっとアメリカは経済優先で極端なことになっているように思える。

 

 最後に補足すると、この本に書かれているアメリカの医療制度の下であると、私は既に破産をして治療を受けられないまま命を落としていた可能性が高い。薬価を国が決められない上に公的保険が不十分であったとしたら、難しい病気に罹った時点でほとんどアウトである。企業がかけている保険が無くなれば治療は続けらないから、保険を維持するためにも治療を後回しにして無理して働くか、働くのをやめる代わりに治療もやめるという選択しかないだろう。そういえば以前ゼネラルモーターズが破綻したときに、会社が負担している従業員の保険が重荷になっていると聞いた覚えがあるが、再建した今は正社員が減っているとのことである。正規から非正規になった人は当然ながら充実した医療保険には加入できず、「一応」無保険ではないという状態にあるだけなのかもしれない。日本も全体的には正社員が減って非正規が増えているが、非正規であっても健保と同レベルの国保には加入できるだけマシなのだろう。皆保険制度が崩れてしまったら、今と同じように高額な治療を限度額の支払いだけで続けることはできなくなる。この本では、高額な治療薬は保険の適用外であるが安楽死の薬は保険が適用される、という話が紹介されているが、日本でもそんなことにならないことを願うばかりである。

 

沈みゆく大国アメリカ (集英社新書)

沈みゆく大国アメリカ (集英社新書)

 

 

 

 

子規庵

 前から行こうと思っていた子規庵にようやく行ってきた。

 

 正岡子規が贔屓にしていた羽二重団子は食べたけれど、そういえば近くにある子規のかつての住居が保存されているという子規庵には行ってないな、と思ったのが数ヶ月前。時間があったのでようやく行くことができた。

 

 私は俳句を嗜む習慣はなく、子規の数々の業績などへの理解が乏しい。それでも、私にとって子規はいわばヒーローのような存在である。何故ならば私自身も病気持ちであり、彼の「病床六尺」などの随筆を読んで畏敬の念を抱いたからである。

 若くして(私は彼ほど若くないが)病床を離れられない辛さ、同年代の人々が活躍していることへの複雑な心境、それでも尚且つ旺盛な知識欲と観察力を持ち続けた精神性など、単純に凄いものだと感嘆する。やはり子規は超人だと思う。

 子規庵は当時の建物を再現したものであるが、今はもう結構古くなっていてなかなか雰囲気がある。こんな部屋で伏せながら書いたり話をしたりしていたのだと思うと、子規の切ない心情も感じることができる。

 しかし、一歩外に出るとそこは鶯谷、都内有数のラブホ街である。昔は風情のある町並みだっただろうに、そこは惜しいなあと感じる。

 

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病牀六尺 (岩波文庫)

病牀六尺 (岩波文庫)